2011年9月1日木曜日

わが母の教え給いし歌

   ドヴォルザークの名曲に「わが母の教え給いし歌」があります。
   ジプシー歌曲の旋律を基調にした、どこか哀しくて、うつくしい曲です。この曲には、ボヘミアの詩人アドルフ・ヘオドゥークの詩をドヴォルザークがドイツ語に訳した歌詞がついています。
    日本語では…(堀内敬三訳)
  " 母が私にこの歌を教えてくれた 昔の日 母は涙を浮かべていた 
    今は私がこの歌を 子供に教えるときとなり 教える私の目から涙があふれ落ちる "

   母のことを人に語ることはあまりなかったのですが、しんぶん赤旗の要請ではじめて書いたのが、「母の日特集―参院選候補・母を語る」でした。

      「弱い人の味方やね」(しんぶん赤旗・2010年5月8日付より)

    母は女手ひとつで、四人の男の子を育てあげました。昼間は京都西九条のスーパーでパート、夜は先斗町(ぽんとちょう)の料亭で仲居として働きました。 母が帰ってくるのは、いつも私が眠ってからでした。