函館postcard「啄木の詩」より
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函館の 青柳町(あをやぎちやう)こそ かなしけれ
友の恋歌 矢ぐるまの花
明治40年、石川啄木は岩手県渋民村を離れ、一家で函館に移り住みました。
石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし
函館では、同人誌の編集にたずさわりながら、函館商工会議所の臨時雇など経て、「函館日日新聞」の記者になりますが、大火に遭って、その職も失います。わずか五カ月ほどの函館でのくらしでした。頑張っても頑張っても、なかなか報われなかった石川啄木…。
しかし、啄木を経済的にも支援した友人の宮崎郁雨によれば、啄木の函館での生活は、たくさんの盟友の温情に浸り、家族とも一緒にくらせて明るく楽しいものだったとか。
戦い終えて日も暮れて、なぜか薄幸の石川啄木が偲ばれる師走です。