NHKの大河ドラマ「八重の桜」はなかなかの人気のようです。
幕末史が大好きな私にとっても、たまりません。
武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば 数にもいらぬわが身ながらも
(中野竹子)
幕末の会津戦争において、頑迷で無策な会津藩の重役たちとは対照的に、「婦女隊」など会津の女性たちの活躍は目を見張るものがありました。
「八重の桜」の主人公は鉄砲の名人、山本八重ですが、わたしは、藩主松平容保の義姉、照姫や「婦女隊」の中野こう子、あるいはこう子の娘・竹子がドラマの主人公になっても少しもおかしくないとおもっています。
照姫役の稲森いずみさん
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照姫は、実際に美貌と品格をそなえた女性だったようで、鶴ヶ城の籠城戦において、松平容保に代わって男の兵士たちを叱咤激励しながら、女性たちを統率して負傷者の看護と食糧調達という重要任務を遂行しました。
中野竹子役の黒木メイサさん
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照姫を守るために結成された「婦女隊」。その指導的地位にあった中野こう子も大変な美人で胆力があり、得意の薙刀(なぎなた)を捨て、山本八重からゲーベル銃を借りて敵を撃ちまくりました。
こう子の娘、竹子も容色佳麗で文武を修め、とくに和歌に秀でていました。涙橋の戦いでは、冒頭の歌を短冊に書いて、薙刀に結んで斬り合ううちに狙撃されて討死。竹子の首級は、政府軍に奪われることをよしとしない、妹・優子よって介錯され、白羽二重に包まれて城へ運ばれました。
会津戦争の女性たちはみんな美しく勇敢でした。その強さはどこからくるものだったのか、女性史としても興味があります。
ところで、「八重の桜」の第1回目のタイトル、「ならぬものはならぬ」が一部で流行語になりつつあるようです。
会津藩は教育熱心で、藩校日新館に入学する前の6歳から9歳までの子どもたちを10人前後のグループに分け(これを什(じゅう)という)、会津藩士の心得を学ばせました。それが、有名な「什の掟」です。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
ちょっとひっかかるのは、「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」。
会津藩は初代藩主保科正之の家訓(「徳川を守れ」)を貫いた藩でした。その保科正之は名君といわれています。
本当でしょうか。
正之が山形藩主だったとき、白岩郷(現・寒河江市)の農民たちが一揆を起こしました。正之は,話をきいてやるからと騙して、農民の代表を山形城下に集め、全員を捕縛して、長町河原ではりつけにしてしまいました。藩主たるものにあるまじき卑怯な振舞です。
…素人の突込みはこれくらいにしておきますが、とにかく歴史は面白い。
興味のある方には、以下の本がお勧めです。
中公新書「戊辰戦争」 同新書「保科正之」
PHP新書「八重と会津落城」 歴史新書「朝敵から見た戊辰戦争」