2013年8月29日木曜日

乱読のすすめ87―ネットに悪意が充満する東アジア














 

   ヘイトスピーチ批判や愛国心についてブログで書くと、悪意にみちた罵声がよせられることがあります。「非国民!」「w w w」…すべて匿名です。

   釧路から羽田にもどる飛行機で、映画監督・森達也さんの「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい」(ダイヤモンド社)を読んでいると、つぎのような一節がありました。
   “ ネットに増殖する悪意は、この国の現在進行形の民意でもあるのだろう。欧米ではこうした匿名掲示板的なサイトはほとんど定着しないと聞いたことがある。オランダの社会学者に「なぜだろう」と訊いたら、彼女は「私たちは匿名の情報に関心がない。韓国や中国も同じらしいけれど、あなたたちはなぜ匿名の情報に、それほど価値を見出すのか」といった。”

   なぜ、東アジアでネットに悪意が充満しているのか。森さんは、長い戦争の歴史に幕を下ろすべく、(紆余曲折はあっても)統合の道を歩むヨーロッパに比べ、(いまだ戦争の総括ができず)東アジアはギクシャクした関係を続けていると指摘しています(それは多分に日本政府の姿勢に責任がある)。

   なるほど、戦争は悪意を増殖させるが、戦争を正しく総括できずにいる状態も悪意の増殖を生んでいるのでしょう。

   くわえて思うのは、ヨーロッパとちがい、東アジア(とくに中国、日本、韓国)では急速に貧富の格差が広がっていることです。社会にたいして絶望を感じた若者たち(ふだんは大人しくて寡黙かもしれない)が、夜中にパソコンの前に座ると「人が変わる」。うっ積を排外主義で爆発させる。東アジアの至るところでそんなことが起きているのかもしれない。だとすれば、ネットに増殖する悪意は政治問題だけでなく、経済問題もはらみます。いやむしろそれが本質かもしれない。

   虐げられた者同士がいがみ合っても仕方がない。強欲資本主義に対抗する東アジアの労働者、生活者レベルの連帯を模索できないものか、とかんがえました。